また歴史を学びました。【世界一周@ルワンダ・キガリ3日目】
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リアルタイムは、ナミビアらへん。
7/5は、ルワンダのキガリ!
どーも、ザキです。
口内炎できました。痛いです。
キガリの朝は、バス停のとこで朝ごはん購入。
今日も食べるのは、サーターアンダギー。
値段が200フラン(約26円)と激安だからついついたべちゃう。
バス停はこんな感じ。
朝からすっごいバスが止まってる。
で、今回はまずフイエに向かうよ。
バスが意外と綺麗でびっくり。
アフリカのバスって言ったら完全に日本とかの中古車でゴキブリとかいるのに。
2.3時間くらいバスに揺られてるわけやけども、、、
ツーショットなう。
寝顔撮っちゃった☆
なかなかレアなおばちゃんの寝顔。
とても愛らしかった。
おばちゃんのいびきにドキドキ♡しながらフイエに到着。
そして、そこからニャマガベってとこに。
またバスに乗るよ。
ぐらんぐらんに揺られながらニャバガベってとこに到着。
そして、そっからバイタクで10分くらいドライブ。
なかなか自然が豊か。
絶対Wi-Fiとかないとこ。
今回のバイタクのおっさんのヘルメットは、緑色。
で、着いたのがこちら。
門を入って歩くと、
【ムランビ虐殺記念館】に到着。
昨日は、キガリにあるキガリ虐殺記念館に行ったけど、今日はこちら。
ムランビ虐殺記念館概要
この建物は元々ムランビ技術学校と呼ばれる学校であった。
ルワンダ虐殺が始まった当初、この地域に住むツチは地元の教会に避難しようとした。しかし、"丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる"という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、ツチらは学校へ隠れることになった。
1994年4月16日、唐突に水や電気の供給が停止された。この時点でおよそ6万5000人のツチが学内に避難しており、食料も水も不足する中、避難民らは自衛のために投石用の石を数日かけて拾い集めている。
しかし4月21日の夜半、フランス軍が唐突に姿を消すとともに、学校はフツ系過激派民兵のインテラハムウェの襲撃を受けた。約4万5000人のツチが校内で殺害され、この日の虐殺を逃れた者の内の大半も、翌日に近くの教会へと逃れようとしたところを殺害された。
現在、ムランビ技術学校の校舎は虐殺記念館として使用され、被害者数千人分の頭蓋骨とミイラ化した遺体が展示されている。なお、ルワンダ虐殺にフランス政府が加担していたとの主張が、2008年にルワンダ政府によりなされている。
Wikipediaより抜粋。
入り口を入ってみるとおそらく校舎だったところ。
ここで45000人もの人たちが殺害された。
女・子供とか関係なく無差別に。
この校舎の部屋に入ってみると無数の頭蓋骨とミイラが眠っていた。
死んだ姿のままでミイラになっているためさまざな姿でその当時の服のままでミイラになってる。
ケースに並べてるんじゃなくて、そこに無造作に置かれてる感じ。
だから、なおさらリアル。
あるミイラは、手で防ごうとしたままのミイラや子供を守るために子供を抱きかかえて形でいるミイラなど。
しかも、ほとんどのミイラの頭蓋骨はハンマーなどで砕かれてたし、手足がないミイラもいた。
そして一番ここに来て驚いたのが、、、
死臭。
初めて嗅ぐにおいだった。
言葉にしがたいなんとも言えない臭いだった。
今は、こんな素敵な国なのに。
絶対にこんな悲劇を2度と起こしてはならないと思うし、このことをルワンダに来て学べたことは本当に良かった。
帰りもバイタクでニャマガベへ。
バスまで時間があったからバナナを食べる。
バナナが一本6円という破壊的な値段にびびった。
そして、バスを乗り継いでバス停に帰ってきた。
夜ご飯は、バス停の建物で食べるよー。
上から見たらこんな感じ。
どの時間もこんな感じ。
すげーわ。
でこれが夜ご飯。
値段が1000シリングとなかなかお得!
しかも、おいしいから最高!
ご飯食べた後は、
「BIGBANGになるにはどうすればいいか」
っていう永遠のテーマをカフェで考えてました。
今日は移動したし、とても勉強になった。
久しぶりに頭使ったので、疲れたら寝よーう。
それじゃあ、また。
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